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歴史的位置づけ

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Historical Role photo

1995年3月1日、京畿道から仁川市に編入された江華島は、先史時代から近代に至る朝鮮半島の歴史を保っています。

江華島ででは数々の旧・新石器時代の遺物・遺跡が発見されています。
また、青銅器時代の代表的な巨石遺跡である支石墓(ゴインドル、고인돌)が随所で多数(推定約80基以上)発見されており、該当地域には早くから人間が居住していたことが分かります

特に、檀君(Daungu단군)が祈りの儀式を行ったことで知られる摩尼山塹城壇(マニサン チャムソンダン 마니산 참성단)と彼の三人の息子に築かせたといわれる三郎城(サンランソン 삼랑성)の伝説
そして河陰奉氏(ハウン ボン氏 하음봉씨 名字の一つ)始祖の天降説話に関連する奉天台と奉哥池(ボンガジ 봉가지)、奉恩寺(ボンウンサ 봉은사)、石造如来立像等の遺跡から
江華島が聖地として成り立っていたことが分かります。

江華島が歴史上の主な舞台として記録された時期は高麗の後期です。

モンゴル軍に対する抗争のため、開城(ケソン 개성)から江華島に遷都(1232~1270年)した跡が見られる高麗宮地(コリョグンジ 고려궁지)や城郭などが残っていることから、北方遊牧民族による侵攻に備えた避難地としての江華島が見受けられます。
特に世界文化遺産として認定(1998年ユネスコ指定)された高麗八万大蔵経(コリョ パルマン テジャンギョン 고려 팔만대장경 / 1236年から1251にかけて完成)の製作が行われたのも、まさに対モンゴル抗争時の高麗の後期でした。

朝鮮時代になってからも江華島は避難地としての役割を…

江華島は1627年の丁卯胡乱(ていぼうこらん)と1636年の丙子の乱など、二度に渡る満洲族の侵攻の際に避難地として使われました。これは江華島に「天然の要塞」ともいわれる地形上の特徴が理由です。
その後江華島は、数多くの軍事施設を設けることで首都防衛の前哨基地になりました。

朝鮮末期には数回にわたって江華島が西洋勢力と日本の侵略に対抗した激戦の地となるなど、当時における江華島の軍事的役割が証明されています。

鎖国を行っていた興宣大院君によるカトリック弾圧を理由にフランス艦隊が侵攻してきた丙寅洋擾(へいいんようじょう、1866年)、アメリカ海軍艦隊が漢江に侵入した事に端を発した交戦である辛未洋擾(しんみようじょう、1871年)、開港を求めて江華島近海に侵入してきた旧日本軍艦雲揚号との武力衝突である江華島事件(1875年)など、実に様々な事件が江華島で起きており、その後の江華島条約(日朝修好条規、1876年)が結ばれた場所も江華島であり、これをきっかけに朝鮮は開港を実施します。