高麗宮地(コリョグンジ 고려궁지)
高麗がモンゴルの侵攻に対抗するため39年間使われた王宮の跡地です。1232年6月、高麗高宗(在位1213~1259)は対モンゴル抗戦を目標に
掲げていた武人たちの主張に従い、険しい地勢の江華島に首都を移し、1234年には王宮と官衙(かんが)を完成させました。1270年にモンゴルとの
講和が成立して再び開城に首都を移した後、王宮と城郭は崩壊しました。
1637年の丙子の乱の際、江華城が清軍に陥落し、その後の高麗宮の跡地には朝鮮宮殿の建物と留守府(ユスブ)の建物等が建てられましたが、
1866年の丙寅洋擾(しんみようじょう)の際にフランス軍によってほとんどの建物を燃やされ、今では留守府の東軒と吏房廳(イバンチョン 이방청)だけが残されています。
その後、1977年に補修が完了し、国難克服の歴史的教訓が学べる教育の場として活用しています。
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