広城堡(クァンソンボ 광성보)
江華郡南東部の海岸に位置し、古くから朝鮮半島と江華島の間の江華海峡を守っていた要塞です。
堡は砦(とりで)の意味で地形が険しい江華島の海岸の「12の砦」の1つとして数えられます。1871年に当時の朝鮮とアメリカ軍の間で起きた
辛未洋擾(しんみようじょう)の決戦地としても有名で、現在は、復元した城門「按海楼(アネル 안해루)」や古い大砲、慰霊碑が設けられた広い自然公園になっており
敷地内の約6,000平方メートルは1971年に国の「史跡第227号」に指定されています。
広城堡には、辛未洋擾で殉国した2人の名将を祭る慰霊碑と無名勇士の辛未殉義塚などがあります。
国防遺跡としての広城堡
広城堡は、近隣都市である金浦と向かい合っており、高麗時代の城を1618年(朝鮮)に補修して1656年に今の広城堡を設置しました。
広城堡の墩台(ドンデ 돈대)は1679年に築造されたもので、4つの軍事施設が広城堡に所属しており、完全に改築されたのは1745年でした。
広城堡は辛未洋擾時の激戦地でもあり、1871年4月、アメリカのロジャスが通商要求を名目にアジア艦隊を率いて1,230名の兵力で侵攻してきた際
アメリカの上陸部隊が草芝鎮(チョジジン 초지진)と徳津鎮(トクジンジン 덕진진)を占領した後、広城堡に進み白兵戦を展開しました。
当時の朝鮮軍指揮官の魚在淵(オ・ジェヨン 어재연)将軍以下の全勇士が勇敢に戦い、砲弾が尽きると剣と槍で、刀と槍が折れると素手で最後の1人まで逃げることなく、
捕虜にもならず壮烈な最後を遂げた場所でもあります。
当時のアメリカの兵器は9インチ砲、8インチ砲など最新の兵器で武装しており、南北戦争とスペイン戦争を経験した百戦練磨の将兵1,230名の精鋭軍であるのに比べ
朝鮮軍は縄に火をつける火縄砲3門、旧式長銃数丁、火薬4,000斤、軍糧米100石に約300名の戦闘経験の浅いでアメリカ軍を相手しました。
後にアメリカ軍は、物理戦では勝ったものの、精神面では負けたと当時のことを語っています。辛未洋擾時に破壊されて廃虚になっていた城柵と楼門は復元されています。
天然の要塞とも言われる広城堡の竜頭墩台(ヨンドゥドンデ 용두돈대)は、広城堡城門から峠を越えて10分ほど進んだところの海の上にある、
竜の頭のような突出部の岩盤の上に建てられた墩台で、そこから見下ろす風景はまさに絶景の一言です。
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